書けないなら、考えられていない
頭の中で考えていたつもりが、文章にしようとすると詰まる。私たちは意思決定をADRに、報告を結論先出しで書いています。書くことが思考を検証する道具になる、という一人会社の実感を書きました。
頭の中では、分かっているつもりでした。いざ書こうとすると、手が止まる。それは文章が下手なんじゃなくて――まだ、考えきれていないだけでした。
うちは社長 1 名と、AI(COO 役の Claude Code)だけの一人会社です。 決めることも、伝えることも、量が多い。
その中で、だんだんはっきりしてきた実感があります。 私にとって書くことは、伝えるための作業である前に――考えるための作業だった、ということです。
うまく書けないときは、たいてい、まだ考えられていない。 その正直な話を書きます。
🖊️書こうとして、初めて「分かっていなかった」と気づく
頭の中の「なんとなく分かった」は、書き出した瞬間に崩れます。曖昧なままの部分が、文の途中で止まって見える。
考えているときは、いくらでも飛ばせます。 「ここはこう、たぶんこう、あとはうまくいく」――頭の中なら、あいまいなまま先へ進めてしまう。
ところが、それを人が読む文章にしようとすると、そうはいきません。 主語は何か。なぜそう言えるのか。反対の見方はどうなるのか。飛ばしていた場所が、そのまま「書けない場所」として現れる。私は何度も、文の途中で手が止まって、「あ、ここ、実は決めてなかったな」と気づかされました。
だから今は、こう考えています。 スラスラ書けないのは、文章力の問題じゃない。 その手前の、考えがまだ形になっていない合図だ、と。
📝ADRに「なぜ決めたか」を書くと、詰めの甘さが出る
私たちは重い判断を ADR に残しています。「なぜそうしたか」を文にすると、決めきれていない前提が浮かび上がります。
うちでは、方針レベルの決めごとを ADR(意思決定の記録)として文章に残しています。 形式はシンプルで、背景・選んだ道・選ばなかった道・その理由、を書く。 それだけです。
おもしろいのは、この「理由」を書く段になると、自分がまだ迷っている場所が、はっきり見えてくることです。 たとえば承認の重さを「取り消せるか・外に届くか・お金や法律が絡むか」で決める、という軸を整理したときも、 書いてみて初めて、境目のあいまいなケースが残っていると気づきました。
決めた瞬間は、たいてい「分かった気」になっています。 でも一枚に書き起こすと、まだ握れていない前提が、必ずどこかに残っている。 ADR は記録であると同時に、自分の考えの穴を探す装置にもなっていました。
📣結論から書く報告は、「言いたいこと」がある人しか書けない
うちの報告は結論を先に置きます。この形は、まず自分が「結局何なのか」を握っていないと、一行目から書けません。
社内の報告は、結論から先に書く形にしています。 最初に「何をしたか・何が起きたか」を一言で置き、そのあとに理由と具体例を続ける。 いわゆる PREP と呼ばれる並べ方です。
この形のいいところは、伝わりやすさだけじゃありません。結論を一行目に書けない時点で、自分がまだ要点を掴めていないと分かることです。 だらだら経緯から書き始めたくなるときは、たいてい「で、結局どうなの?」を自分が答えられていない。
だから私は、報告文が書きにくいと感じたら、文章を直す前に一度立ち止まります。 直すべきは言い回しじゃなくて、その手前の考えのほう。 書き出しに詰まることが、「まだ考えが定まっていない」という早期警報になっています。
✍️「書けないなら考えていない」を、判断の合図にする
書くと考えが進む、という感覚は私だけのものではないようです。うまく書けない箇所を、考え直しの入口として使っています。
この「書くことは考えること」という感覚は、昔から多くの書き手が語ってきたものでもあります。 プログラマで随筆家の Paul Graham も、Putting Ideas Into Wordsというエッセイで、あるテーマについて書くと、そのテーマについて自分がいかに雑にしか理解していなかったかを思い知る、という趣旨のことを書いています。 私が日々感じていたことに、近い話でした。
なので、うちでは書きにくさを「才能の問題」で片づけません。 ある判断について文章が進まないなら、文章を練り直す前に、判断そのものを考え直す。順番を、そう決めています。
明日から試せる、地味なやり方を一つ。 何かを決めたら、その理由を人に読ませるつもりで三行だけ書いてみてください。 スラスラ書けたなら、たぶん本当に考えられている。 途中で詰まったなら――そこが、まだ考えていない場所です。
🧭AIに任せる時代でも、書く手は手放さない
下書きは AI にも頼めます。でも「何を言いたいか」を握る作業だけは、書きながら自分で通す価値がありました。
今は、文章の下書きを AI に任せることもできます。実際、うちも助けてもらっています。 それでも私は、大事な判断ほど、要点を自分の手で一度書き起こすようにしています。書く過程で考えが整う部分を、丸ごと手放したくないからです。
AI にきれいな文章を出してもらっても、 自分の中で要点が定まっていなければ、それは他人の考えを写しているだけになる。 下書きは任せても、「結局これは何なのか」を握る作業は、書きながら自分で通す。 そこは分けて考えています。
あなたも、頭の中だけで「分かった」と思っていることはありませんか。 一度、人に読ませるつもりで書いてみてください。 スラスラ進むか、どこかで手が止まるか――それが、考えられているかどうかの、いちばん正直な答えです。
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